って、普通は、思う
誰かに、憤るから
「あんな風に、ならないでおこう」
「私は、正しく生きよう」
逆に考えれば、憤りを手放すと
「正しく生きらない、自分の生き方を通せない」
「あんな風に、なる」
って
自分が、弱い事を知ってるんです
シータでは、憤りを持たなくても、自分らしく生きられる
自分の生き方が、出来る
と、考え方を変え事です
この考え方を、何時、作ったかを知れば
納得して、この考え方を手放せます
細胞で、受け継いだのか、過去生なのか、死ぬ時に決めたのか?
生まれた時に、決めたのか
自分探しの旅と言えます